私的安倍晋三論(4)

一地方議員の政策提言-2(各論-1)」

総論で上げた3点を別の表現で言うとすれは、それはわたしたち自身、わたしたち国民の意識改革である。それがなくては全ては机上の空論となると、わたしは思っている。。そのことを前置きとしながら各論に入ろう。

①モラルハザードの解消

1)公平で公正な意思決定過程についての透明性の確立

それまでも日本の政策決定は国民の目に見える場でなされることはなかったが、安倍政権になるとお友達コネクション政治がはびこるとともに、政策決定過程は国民から全く見えなくなった。あまつさえ政府の報告書に嘘と改竄がまかり通るようになった。

 少なくとも全ての会議録を含めた公文書は開示されるべきであり、外交問題など直ぐには開示できない場合でも、10年とか30年とか期限を切って開示し、報告書や統計情報を改ざんした場合は、それを命じたものを処罰するよう法改正をする必要があろう。

2)歴史認識の確立と共有化

 安倍晋三元首相の国葬について反対の声が上がると、賛成論者はしきりに「死んだ人を鞭打つことをするべきではない」と言うようになった。

 この日本人の意識こそが過去の誤謬を誤謬として評価せず、国として犯した過去の過ちや失敗をなかったことにしてしまい、また同じ轍を踏ませてきたのだ。あれだけ太平洋戦争を肯定し続け、韓国民の心を逆なで続けた安倍晋三が、裏では日本の朝鮮半島への戦争犯罪を糾弾し、それを理由に信者から金を巻き上げている統一教会を、自分の権力基盤にしていたということを見ても、彼の歴史認識はご都合主義でしかなかったと糾弾しなくてはならない。

 今からでも遅くはない。自民党の政治圧力の影響を受けない専門部会を立ち上げて、国として昭和史をきちんと清算しなくてはならない。戦争を引き起こした要因、戦争中に集団ヒステリー化した国民の引き起こした多くの事案や事件はもちろんだが、戦争中の教育現場についても総括することを忘れてはならない。子どもたちを戦場に送り込みあるいは銃後の守りに駆り立てていた教員たちの、保身からくる事なかれ主義や軍部への積極的な追従と協力についてもきちんと評価を下さなくてはなるまい。

 1945年8月15日を境に、それまで使っていた教科書をGHQに言われるままに黒塗りにして授業を続けた教員たちの中にも、それまでの自分を恥じ自己批判したものは少数とは言え居た。しかし、文部省(今は文科省)や各自治体の教育委員会が公式声明で過去の過ちを認めたという話は今もって聞いたことはないが、どこかにそれがあるのだろうか。。

②公的教育費の拡大(未来への投資)

 日本も批准している児童の権利に関する条約(通称は子どもの権利条約)は子どもの生きる権利・育つ権利 (教育を受ける権利、そのために必要な生活への支援などを受ける権利)・守られる権利 ・参加する権利(意見を表現しそれが尊重される権利、自由に団体を作る権利)の4つの権利を保障することを求めている。

 しかし、日本はこの条約が発効した1994年以降も、条約の精神に反する状況を改善しようとしていないどころか、特に安倍政権の誕生以降、子どもを取り巻く環境は悪化の一途辿り、さらには大学進学の入り口にまでこぎつけることが出来ても、高額な学費とそのための奨学金という名の借金に押しつぶされる若者を生み出し続けている。子どものための公的資金出動は、建物などのハード面の整備ばかりに重きを置いて、ソフト面については自由競争の原則を盾に、子どもたちへの直接の就学支援がおろそかになっている。

 わたしは教育格差の解消こそが日本の未来を保障することになると考えている。そこでその方法として、

1)大学など高等教育機関の学費を大幅に軽減すること。

 旧国立大学は学費無料とし、私学についても国の支援割合を大幅に増やして学費軽減に結び付ける。社会人となった後でも学ぼうとする学生への社会的理解と経済的支援制度を充実させる。学費が軽減されれば競争率が上がることになるのではないかと心配するかもしれないが、悲しいかな少子化の影響で、今日の子どもの数は高度経済成長期のそれよりずっと少ない。分母が小さくなっている以上、進学競争が過熱することはそれほどの社会課題とはならない。

 大学間格差はどうであろう。これもまた首都圏や大都市圏と地方とのギャップは存在し続けるだろう。しかし、それは単に「都会の昼寝は田舎の猛勉強」的な前時代的発想でしかなくなってきている。大学間のレベル格差は20世紀に比べて小さくなり、むしろ解消しつつある。解決できていない格差の問題は大都市への一局集中によって引き起こされる他の多くの社会問題と同じで、この国の根本的な宿痾として取り組み、解決することが求められるのだ。

2)初等中等教育については、まず公立小中学校の教員の数を現在の2倍まで増員し、小学校ではクラス担任を複数性にする。中学校では教科選択制を強化する。

 全ての高校を単位制にして、それに合わせて大学入試制度を改革する。特に公立の進学校の教員の勤務評定から受け持ちの子どもの進学率・合格率をなくすことで、教員の受験対策の負担を軽減する。

③労働形態間の経済格差の解消

1)同一労働同一賃金を実現することによる真の働き方改革

 小泉政権当時に決定した「働き方改革」は実は働かせ改革であった。この働かせ改革は雇用する側のコストを大幅に削減させた。そのことによって企業は内部留保資金を飛躍的延ばすことは出来た。しかし、その見返りに貿易立国だったこの国は、国際競争力を失い、日本の給与水準は下降の一途をたどっている。

 もともと19世紀の産業革命の本質の一つに労働力の商品化ということがあった。つまり、人件費とは他の原材料と同じ製造コストと同等と捉えられ、従って安ければ安いほどいいという企業理念が働くようになった。その労働力イコール商品という考え方は、技術の習得と積み上げを軽視し、技術のそのものの改善や技術開発を労働者に期待するのではなく、特許やロイヤリティーに依存すること、労働者階級を単純労働に固定化することになったといえる。

 日本の戦後の高度経済成長期、日本の工業生産を支えたのはいやゆる熟練工を呼ばれる働き手であった。どんな技術もそうだが、特に製造現場ではその持ち場持ち場の技術を習得することへの達成感があってこそ、技術水準を高めることが出来た。

 しかし今日、雇用者側のコスト意識から正規雇用よりも非正規雇用の方が有利とする考えが定着し、非正規の臨時の労働者すぐにも製造ラインに着けるよう、習熟や熟練を必要としない製造工程を開発している。それでは単に労働者階級内の更なる階級の分断化となるだけでなく、企業の技術的な前進よりも、コスト軽減を人件費という製造原料コストによってのみ図る方向へと走らせることになるのは当然の帰結である。今日、日本の国内労働者の収入と一人当たり生産力が世界的に見て低迷しているのも、原因は掛け声だけの「働き方改革」にあった。安倍晋三のアベノミクスはそれを踏襲した。

 現在、政府のうわべの掛け声とは裏腹に、正規雇用と非正規雇用の賃金格差は倍以上の開きがある。非正規雇用者への待遇や社会保障を正規雇用と同レベルにすることで「働かせ改革」でない「真の働き方改革」に舵を切り、雇用形態の正規か非正規ということを、働く側が自らの生活スタイルや志望に合わせて選択できるものとするべきである。

2)外国人労働者処遇のパラダイムチェンジ

 どんなに言い繕ってみたところで、今日の日本の外国人労働者政策は、安い労働力の確保こそが目的である。そのことはどこの国でも同じあることが少なくとも20世紀初頭からの歴史が証明している。

 この分野でも日本は世紀遅れで、国内の人口減少からくる産業界の労働者不足に直面したことで、特に所謂3K(危険、汚い、きつい)職場への就労者が不足することへのカンフル剤として政策決定された。

 初めは外国籍の日系移民やその子弟の就労を認めるところから始まったが、やがて、就学ビザで入国してくる所謂留学生のアルバイト許可、技術習得を目的とする研修生へのビザ発給などで、なし崩し的に外国人の就労を認めてきた。留学や研修という見せかけだけの制度で、内実は全く違うことを、国・地方の行政機関だけでなく、多くの国民も知りながら黙認してきた。そのくせ、本音と建て前があることを理解しない外国人を苛酷に扱い、ついには入管施設で死亡者まで出している。

 単純労働者への差別的な扱いを見せつけながら、高度な技術や技能、経営手腕を有する外国人の定住を勧誘しても、そう簡単には外国人は騙されない。しかし、この問題はそう単純ではない。人種、宗教、本国の政情不安など外国人の抱える個人的な問題は単純ではない。今後、日本の将来を見据えた時、さらなる国際化の進展とともに、日本がさらなるグローバル経済圏の一角に繰り込まれていくことは明らかであり、外国人に労働力を期待する以上、一日も早く、外国人の子弟の初等・中等教育をどうするか、各種社会保障をどうするか議論しておく必要がある。

 その他、わたしの政策提言は以下のように続く。

④地方分権の復活(人口減少時代における社会構造の再建=医療・福祉・地域経済)

1)医療改革

2)福祉改革

3)地域経済改革・地域税制改革(消費税率の県単位化、軽減税率の導入)

4)都道府県・市町村制度の見直し

⑤安全保障

1)農業を中心とした食料安全保障=環境安全保障、水資源の保全と窒素過多による環境汚染防止

2)エネルギー安全保障(原子力政策・一日も早い脱原子力)

3)独自外交

4)防衛大綱の見直し(専守防衛の堅持) 軍隊というものは自らの存在感を自覚するために戦争をやりたくなる。

⑥金融構造改革(金余り経済の立て直し、官製相場形成=一億総ばくち打ちの是正)

1)公的基金を使っての株式相場支えの是正

2)日銀で買い上げた国債の取り扱い

⑦インフラ整備のパラダイムチェンジ(公共交通機関、電力、通信システムetc.)

1)鉄道網の再編成(都市型・近郊型・都市間型、上下分離方式、JR株式の取り扱い)

2)都市内のバス輸送システムの再編成、新しいモビリティーの創生

3)電力

4)通信システム

5)上下水道

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私的安倍晋三論ー3

私的安倍晋三論(3)

「一地方議員の政策提言-1(総論)」

 政治家を批判し、現状を嘆くばかりでは前進はない。これから日本を立て直すために何が必要なのかを我々一人ひとりが考えなくてはならないはずである。片田舎のこれまで一度も政党員になったことのない屋根裏部屋の一市議会議員でしかないお前が何を大それたことを言うのかとの誹りを覚悟しつつ、はなはだ不遜であると自覚しながら、それでもこの国に対するわたしの気持ちは、黙っていることを許さない。わたしがこの国の中枢にいたとしたらという夢のような仮定に立って、わたしなりの提言をまとめたい。広く友人知人のご意見ご批判をお待ちする。

 まず総論的提案をさせてもらう。ここでは批判や非難を展開するのではない。わたし自身のとして、わたしなら現状をどうとらえ、それをどう打破するつもりかということを考えてみたい。

①日本独自の政治手法への回帰

 日本は少なくとも明治維新を迎えるまで、蓄積された独自の文化を誇る国であった。ヨーロッパ諸国もその意味で文化創造の国であった。産業革命以降もその急激な社会変化の負の部分を植民地支配や人種差別という形に変えて、世界中に害毒を垂れ流し続けてきたし、今回のエリザベス女王の厳かな中にもきらびやかな国葬でも、その裏側に英国によって搾取されてきた国々の怨嗟の声は聞こえていた。中国も20世紀以降の混迷はともかくとして文化大革命以前は文化創造の国であった。

 ところが米国は文化創造の国だっただろうか。わたしは米国を人工の国であると考えている。文化もまた人が造ったものには違いはないが、文化は創造と蓄積によって、さらにそれが発酵して幾分の酒精を含むようになって初めて成立するが、単に人工という場合、それは力の創造というところに収束するし、その力の創造とは結局のところ経済の力というところに収束している。

 19世紀後半、米国はすさまじい成長を遂げつつあったが、それでもまだ欧州列強の後塵を拝する地位に甘んじていた。その頃の米国は所謂西部開拓史時代であり、やがて南北戦争を経てやっと近代国家としての形を成し始めるという頃である。その頃、銀行強盗であれ、逆にそのアジトを急襲する保安官であれ、入り口のドアを蹴破って扉を開けるという乱暴さを、わたしたちは西部劇の映画の中で痛快に感じながら見てきた。江戸末期の日本という太平の国は、ペリーという一軍人のドア蹴破り型の接触を受け、熊に襲われた蜂の巣のような大混乱を引き起こしてしまったのだが。

 その時から、日本は文化創造の国から文化模倣の国になってしまい、その後の変遷はわたしたちは教科書で習ってきた。技術や法体系を模倣するだけなら良かったのだが、文化的・伝統的思考をも模倣しようとしたことに問題があった。しかも、模倣は模倣でしかなかったことで問題はさらに深刻化してきたのだ。特に敗戦によって第二の開国を占領国による支配という特殊な環境下で、その模倣を迫られてしまったため、日本の伝統的美徳である「行間を読む」「惻隠の情」などという言葉が、その意義を失い「行間を読む」は「勝手に解釈する」に変わり「惻隠の情」は「忖度」に変わってしまった。

 米国では建国以来、力こそが善であり正義であるというポリシーのもとに政治が行われてきたが、日本もそれに倣うように政治の世界では「数の力」、社会では「金の力」が善である正義であるということになってしまった。それによって、日本の政治に最も求められてきたはずのマイノリティーや弱者への惻隠と配慮に基づく政治は、少なくともこの政治の論議の場からはしばしば切り捨てらることになってしまった。あまつさえ株価の高止まりを保障するためには国民の年金基金を株式市場につぎ込んで良しとする風潮を生んでしまった。

 今更ながらの感はするが、それでも今からでもやらなくてはいけないのは、わたしたち日本人がもう一度きちんと「惻隠の情」を取り戻すことであると、わたしは強く思っている。岸田首相の「耳を傾ける」とか「丁寧な説明」というのが如何に空疎な言葉かを実感するたびに、そんなことをしなくても、わたしたちは言葉や文字にならない心情をくみ取り、少数者や弱者の思いを惻隠する心を持っていたはずであり、誰より政治家にそのことを望みたい。

②コミュニティー意識の醸成

 近年、特に労働組合運動の退潮傾向が激しくなっている。連合が結成された1987年には既に27.6%まで落ち込んでいた組織率は、昨年(2021年)にはとうとう16.9%まで落ち込んだ。労働者の労働組合活動への期待度や信頼性はまだまだ低下傾向にある。

 労働組合の組織率が低下する要因は専門家の分析に任せるとして、わたしはこの傾向を嘆き、日本の将来に暗雲の立ち込めるのを感じさえしている。労働組合は賃上げによって労働そのものの価値を高めること共に、雇用環境や職場環境の保障を求め、家族を含めた社会全体の生活環境の改善を図ろうとするために、同じ職場で働くものが連帯して活動するための組織である。労働組合はそれぞれの会社や団体に共に働く者同士の共同体=コミュニティーである。

 コミュニティーと言えば、地域においては自治会・町内会の存続が困難になっているというし、学校ではPTAへの加入者が減るとともに活動ができなくなっているという話も聞く。いじめや不登校の要因の一つに、学校というコミュニティーの求心力の低下が有るのではないかと専門家は声をそろえていっているが、いずれもその背景に同根の問題がある。さらに言えばコミュニティーの最小単位である家庭、家族さえも絆が薄れ、そのためマタニティーブルーや産後鬱が社会問題化している。

 人間は社会的動物であると再確認するまでもないが、小さな単位から国単位の大きなものまで、わたしたちはコミュニティー社会に属して生活している。であればこそ、そのコミュニティーを健全な結束力・求心力で維持していくことは、わたしたちが生きて行くためだけでなく、わたしたちの子々孫々の暮らしを保障するためにも必須である。そのためにそのコミュニティーの構成員である我々一人ひとりが、それぞれの役割分担をこなしつつ、相互に信頼し合い、相互扶助の精神で協働していかなくてはなるまい。

③政治家への意識改革

 各級選挙のたびに、投票率の低下が問題になる。その一番の要因は政治家自身が有権者に期待を裏切り、失望させてきたことにある。「どうせ、自分のことしか考えない政治家だ。誰がやっても同じじゃないか」「自分が一票投じようと投じまいと、世の中には何の影響もない」という気持ちにさせてしまったのは、当の政治家たちである。一地方議員であるわたし自身を含めて、政治に志をおく強く全ての人間は、そのことを深く自省しなくてはならない。

 しかし、政治家の出来不出来を嘆くだけでは、わたしたちの生活が良くなり、未来が開けることにはつながらないことも明白である。しかも、安倍晋三と統一教会の野合で明らかになったように、国民が政治不信をかこっている間に権力は国民を無視して自己を肥大化させ国をあらぬ方向へ導こうとする。昭和初年の日本が軍部の自己肥大を許したばかりにその後、国民がどんな境遇に立ち至ったかを考えなくてはなるまい。

 よく言われるように「政治家は有権者の鑑」である。としたら、まずは我々が政治家を見る目を養い、私心を捨てた評価をする力をつける必要がある。さらに言えば、わたしたち自身が政治家を育てようとしなくてはなるまい。まずは手始めに現政権与党があぐらをかいてよしとしている権力の裏付けを見直すことが必要である。そのためには300議席という衆議院での議席を、少なくとも与野党拮抗するところまで減らさなくてはならない。「自由民主党員でなくては政治家にあらず人にあらず」という風潮を「自由民主党員だけには投票しない」というくらいの意気込みをもって、これからの各級選挙に当たらなくてはならない。「そうは言っても、地域の義理がある」とか「ほかにふさわしい政党がない」などと考えず、とにかく法的根拠もないままに「閣議決定すれば何でもできる」という状況を是正するための投票行動を起こすべきということである。

 「閣議決定すればなんでもまかり通る」が如何に怖いことであるか、それは閣議決定とはいえ結局首相にすべての閣僚の任免権がある以上、閣議決定はイコール首相の政治判断ということである。「閣議決定万能論」を許せば、次に来るのは一党独裁への道であり、一国自滅への暴走でしかないことを、わたしたちはいやというほど思い知らされて、まだ100年もたっていない。

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私的安倍晋三論ー2

私的安倍晋三論(2)

「一地方議員から見た安倍晋三と彼の政治・政策-2」

 安倍晋三と彼の政権が、日本という国に拭いきれないモラルハザードを引き起こしてしまったことは前章で書いたが、では安倍政権は政策の面でどんな影響をこの国に残していったのか考えてみたい。

 まずは総論から始めよう。ただ、初めに断っておかなくてはならないが、全ての安倍政権の失策は独り安倍政権だけの、あるいは日本だけの責任とは言えない。格差社会の到来を産む直接的きっかけを作ったのは、1997年の小泉政権の「働き方改革」ならぬ「働かせ改革」にあったし、金融における量的規制緩和政策は米国のリーマンショック危機によって泥沼化したものである。さらに言えば、政治と政府の無責任体質の固定化は、第2次安倍内閣の下、2014年に「内閣人事局」が創設されてからだとされているが、政治による行政人事支配のための強権浸透圧力の始まりは、民主党政権発足直前の2009年、小沢一郎が脱官僚を掲げて霞が関人事を政治主導する方向に舵を切ったことが節目になっていると言える。

総論

①新自由主義という名のうわべだけの市場原理至上主義と自己責任論

 前々から日本国民は政治家について信用しなくなっていたし、期待もしていなかった。その政治家が霞が関人事を牛耳るようになって、行政もまたモラルハザードを起こし、それとともに機能不全に陥ってしまった。さらにその場しのぎの無責任体質は大企業にも伝染してしまい、長期的な見通しに立った戦略の構築や展開を怠るようになった。結果として日本経済の硬直化と停滞を招き、世界第2位の経済大国として国際社会に存在感を確保していたこの国が、今では先進国(OECD加盟国)中の下位にまで落ちぶれてしまった。その過程で勝ち組負け組と言われる格差社会を現出し、拡大させ、固定化してしまった。

②地方分権改革を崩壊させたこと

 明治維新以降、敗戦を経験してもなお日本は中央集権体制を維持してきた。1990年代から2010年頃まで、中央集権体制に対する疑問から、地方分権改革の必要性が政治課題の一つになっていたのだが、それを安倍政権は全否定してしまった。日本より人口の多い先進国は米国であるが、周知のごとく合衆国であり、地方分権を確立させている。人口8400万人のドイツもまたラントと呼ばれる16の地方自治体によって構成される連邦国家である。英国やフランスは県の相当する単位が基本になっており、日本の地方自治体形を似ている。しかし、日本国の人口は1億3千万人と英仏の2倍近い。しかも、南北に長い列島で構成された国土を考えると、何もかもを中央で決定するということに軋みが出来てきている。だからこそ、地方分権改革が叫ばれたのだ。

 しかし、安倍政権はそれまでの地方分権への流れを方向転換してしまった。国会もまた、安倍に率いていた絶対多数与党である自民党議員は、一票の平等性において違憲状態とされた選挙区の再編成に、自分たちの既得権を重視するばかりで、地方がなぜ人口を減らし、衰亡しているのかという本質論には踏み込もうとはしなかった。

 地方は疲弊する一方であるだけでなく、それによって医療体制などの基本的人権にかかわるハードソフト両面の地域インフラが崩壊してしまった。特に医療体制の崩壊は新型コロナ感染症パンデミックで露見したように、地方にとってはまさに存亡の危機的状態に甘んじることを余儀なくされている。

③政治と行政組織のモラルハザードを引き起こしたこと

 繰り返しになるが、モラルハザードは政治機構、行政機構内部の機能停止を生んでしまっただけではない。政権トップのゆがんだコンプレックスから来るルサンチマンによって、良識や常識をことさらに捻じ曲げ、自分を阿諛追従してくれるお友達の世界に閉じこもり、その中から宣伝コピーのような空虚なスローガンの列挙、連発して、国民を目くらましにかける政治に終始し続けた。

 日本銀行でさえ例外ではなかった。厳格に政治からの独立性を保障されてきたはずの日銀を政治の道具にしてしまい、この国の経済を金融市場至上主義という覚せい剤中毒患者にしてしまった。勤勉さに裏付けされた技術立国、工業立国であったはずの日本を、あっという間にマネーとストック(株式)が経済を席巻する国にしてしまった。結果として、国全体の活力を喪失させ、国際的な影響力を低下させ、国の真の安全保障を脅かし、この国の未来への可能性すら危うくしているのだ。

 これも繰り返しになるが、国民はこれまでも政治家を信用してこなかった。そのことは相次ぐ各級選挙のたびに投票率が大きく低下していることが、もっとも如実に物語っている。

④教育基本法改正案を強行採決で成立させたこと

 安倍晋三のポリシーに戦前回帰の傾向が潜んでいることはよく言われてきたが、それが政策面で実際に表に現れたのが、教育基本法の改正である。この改正によって本来基本法の宛名人(それぞれ法律を守ることを求められている対象。憲法や基本法の場合は国または国権)を国または国権から国民にすり替えてしまった。国の国民対する義務であるものを、国民が国に対して義務を負うという方向に切り替えようとする試みの、この改正が始まりであるといえよう。

 教育の基本精神は世界子どもの権利条約の前文にあるように、あくまで「子どもの健全な成長と未来を保障する」ことにあり、決して「国や産業界に都合の良い国民、労働者を確保する」ためではない。だからこそ、教育基本法の名宛人、つまり誰がこの法を遵守しなくてはならないかは「国」でなくてはならない。それを安倍の教育基本法改正では、改正された部分の全てにおいて、名宛人が国から国民にすり替えられている。それが何を意味し、どんな影響がこれからのわたしたちの身の上に関わってくるのか、すでに多くの専門家が語り始めているが、手遅れにならないうちにわたしたちは目を覚まさなくてはならないだろう。

各論

  • 経済政策

アベノミクスの3本の矢はつまるところ、「期限も出口もない金融緩和」「日銀による国債の無制限な買入れ」「公的年金基金を株式に投入することによる株価の維持」という3本である。彼は実質経済の成長ではなく、バブル経済の再現を目指していたのである。1980年代のバブル経済が異常であっただけでなく、それから今日に至るまでの年月で、我が国の国際競争力は喪失し、産業の空洞化を招いてしまった。彼の特異な目くらまし発言でトリクルダウンなどという言葉を連発したが、その結果として残ったのは、国の莫大な借金、大企業のこれもまた莫大な企業内留保資金、そして国民相互の経済格差である。その結果、この国は世界第2位の経済大国から、先進国の最下位にまで経済力を陥落させ、国民の、特に若い世代の未来への希望をむしり取ってしまった。

  • 国際関係・外交政策

 長期政権を維持するとそれだけで例えばG7などに出ると古参としてプレゼンスを強めることが出来る。誰でも一度も会ったことのない人よりも、一度でも言葉を交わした人に対しての方が心を開きやすい。しかし、それはあくまで顔を覚えられるということであって、相手から畏敬や尊敬の念を得られるかどうかは、また別の問題である。実はここでも、彼のコンプレックを背景とした、組みしやすい相手とのみ組むという国内政治でのやり方が悪い方に働いていたとわたしは考える。

 その一番の例がプーチンとの関係だ。「ウラジミール」「シンゾー」と親密ぶりを誇示しながら、北方領土をまるで馬の鼻先にぶら下げた人参のように使われて、日本の官民の資金をむしり取られ続けた。

 2018年9月10日に行われた日ロ首脳会談は、通算22回目となる安倍首相とプーチン大統領の会談であり、2人だけのテタテ(tête-à-tête)に加え、少人数会合、拡大会合と通常通りの組み合わせで両者の親密な関係を演出しつつ、これまで事務方が積み上げてきた、様々な経済協力プロジェクトの進捗を確認し、新たに5つのプロジェクトのロードマップに合意して、11-12月に日ロ首脳会談を開催することまで約束した。安倍政権の悲願であり、長年の懸案である北方領土問題返還交渉そのものはなんら進展はなく、まず経済協力を拡大して、その実績から領土を巡る交渉に入って平和条約の締結へと繋げるというそれまでの日本政府の方針を大きく変えることは出来なかった。

 安倍首相は2日後日ロの共催で行われた東方経済フォーラムの中の日ロ両首脳の公開討論の場で、プーチンに向かって北方領土を巡る問題が日ロ両国だけでなく極東アジア地域の障害になっていると訴え、「もう一度ここで、たくさんの聴衆を証人として、私たちの意思を確かめ合おうではありませんか。今やらないで、いつやるのか、我々がやらないで、他の誰がやるのか」と問いかけ「一緒に歩んでいきましょう」と提案をした。その時は彼が総裁選に出馬してその党内地固めの最中にいたことを考えると、安倍は外交で成果を上げようという彼一流の大風呂敷にも似た目論見があったと思わざるを得ない。

 プーチンはここでも安倍の足元に付け込んでいる。彼は「今、思いついた」と前置きした上で「あらゆる前提条件をつけず、年末までに平和条約を結ぼう」「争いのある問題はそのあとで、条約をふまえて解決しようじゃないか」と突然の提案を行った。しかも「ジョークではない」とわざわざ断りを入れている。安倍はそれに即妙に反応することが出来なかった。

 この会談で日本は結局、総額3000億円規模という史上最大規模の対ロシア経済協力を約束させられ、なんの信用保証(権益保障)も担保も得られないままに、政治主導の形で日本企業のロシア進出が加速することになり、今日に至っている。

 欧米からの経済制裁に苦しむロシアに対して、積極的に経済協力を先行させて領土問題で譲歩を引き出す環境を整備するのが狙いということであったが、国民の貴重な税金がここでもただむしり取られただけであった。しかもプーチンのウクライナへの侵攻によって、その3000億円のうち、すでにロシアに渡った分は何の見返りもないまま、全て頓挫してしまったことになる。

  • 安全保障政策

安倍晋三の安全保障とは憲法9条の縛りを解くこと、軍備を拡大することに尽きる。

 敵基地に届くミサイルの配備などと声高に言っていたが、それこそ彼の思考の浅薄さを物語る。敵基地に届くミサイルを配備すれば敵はそのミサイルが届かないところから打つことのできるミサイルを持つだけのことである。軍備による国民保護を考えるなら、敵がミサイルを打っても全て撃ち落すことができる防空システムを持つことである。中・長距離弾道ミサイルの配備などは米国の軍需産業を喜ばすだけでしかない。しかし、安全保障とはそんな単純な盾と矛の論議で語られるものではあるまい。

 さらに敵とはどこの国、誰を指すのか。安倍晋三とその後継者たちはなぜ日本国憲法の前文と憲法9条の精神をなし崩し的に改変してまで軍備増大を増大して、どんな戦争に国民を巻き込もうとしているのだろうか。

 そもそも安全保障は軍事力によってのみ確立するものではない。戦争が外交の一形態である以上、外交力、政治力が最も重要ではなかろうか。また、安全保障という以上、食糧安保、情報安保、独自の産業技術開発なども考えなくてはならないのに、安倍の頭には憲法9条改編以外何もなかったのではないか。

 他にも社会保障・福祉政策、医療・保健政策、資源エネルギー政策での失敗や行き詰まりがあった。そのことは既に安倍政権の評価について多くの専門家が語り始めている。中でも教育政策はこれから何十年もこの国に負の効果を与えかねない失策である。モリ・カケ問題などは「安倍お友達コネクション」によって政治と行政がどれほど捻じ曲げられたかという事件であり、教育行政に限らず安倍晋三の政治の実態の何たるかを物語っている。わたしたちははそのことの重要性に着目して、一にも早く信頼のおける政治家を探し出し、育てていかなくてはならない。

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私的安倍晋三論

私的安倍晋三論(Ⅰ)

「一地方議員から見た安倍晋三と彼の政治・政策-1」

 安倍晋三元首相の「国葬」を目前に控えた正にその時に、エリザベス女王の国葬が重厚、華麗にして、敬虔でしめやかに営まれた。各国の元首がお悔やみに駆け付け、日本からは天皇皇后両陛下が参列された。女王陛下の統治下の英国の歴史がどうであったか、ダイアナ妃の悲劇を持ち出すまでもなく、王室内部の人間模様がどうであったかについては、いづれ取りざたされていくのであろうが、敬虔な気持ちで死者の冥福を祈ることは、万人の変わらぬ心情であろう。まして7年にわたってわが国の首相を務めたにもかかわらず、理不尽な暴力によって命を奪われた死者に鞭打つようなことは出来ようはずもない。安倍晋三の命を奪った犯人が安倍晋三の権力構造を裏で支えていたカルト教団に、どれだけ辛い目にあわされ、家庭を崩壊されたことでその後いかなる人生を送ってきたにせよ、それに同情し、情状酌量してはなるまい。罪一等を免れるようなことがあってはならないことは論を待たないことだ。

 しかし、不慮の死をとげたからと言って、公人である安倍晋三という人と、彼の政治に対する評価までしないですますというわけにもいくまい。彼が不慮の死をとげたとたん、若者を中心に彼を英雄視する風潮さえ見られ、それが日本人特有の同調圧力によってネットに拡散している。先の敗戦について未だに正確な評価がないどころか、英雄譚ばかりが語られている始末である。それもまた「死者を辱めることなかれ」という日本人の信条が、過去を正確に清算することを回避し、ひたすら忘れてしまおうとする風潮を生み、その間隙にあの戦争の肯定論さえ浸透させようという輩さえ出ている。

 同時代に生きているわたしたちがきちんと自分なりの評価を書き残しておくことは、わたしたちの未来への義務ではないかと考える。そこで「一地方議員の目から見た安倍晋三なる政治家と彼の政治」について、わたしなりに書きたいと思う。

 安倍晋三ほど毀誉褒貶を二分した政治家も少ない。毀誉褒貶とは功罪に対する評価のことであり、誉と褒が功、毀と貶が罪についてということになろう。そのうち彼の誉と褒については、わたしは列挙するだけの資料を持ち合わせていない。

 それでも彼の功績として、まあ評価できる点を3つ挙げよう。

①長期政権であったこと。

 彼の死に際して多くの外国要人たちが一斉に弔意を示した。それだけ彼の存在感が国際社会に存在していたということであり、それは長期政権を維持した者だけが得ることのできる特権でもある。

 ただ、外国から見た彼の評価は一口で言うならば「金持ちの気前のいいボンボン」ということである。わたし自身、すでに高齢者の年齢に達していた彼をイメージする時、どうしても紺色の半ズボンをはき、白い開襟シャツを着たひ弱なお坊ちゃんという風にしか見えていなかった。

②「潰瘍性大腸炎」という難病指定の患者であったこと。

 このことを決しておちゃらけや皮肉で言っていることではない。彼は表向きこの持病のために一度ならず退陣に追い込まれている。しかし、彼が潰瘍性大腸炎を持病としていたお陰で、多くの治療法や治療薬(新薬)が可及的速やかに承認され、また保険適用となっていて、その恩恵は彼一人のものではなく、多くの一般人の患者に及んでいる。もちろん、これも見方によっては、縁故政治・忖度行政との誹りを免れない。それでもわたしは、多くの難病患者に少しでも手が差し伸べられたことにのみ注目すれば立派な貢献だったと考える。

③円満な夫婦関係

 もう一つ、彼には褒められるに値することがあるとするならば、それは妻である安倍昭恵氏との夫婦関係だ。ラジオのMC、居酒屋の女将をやり、異色のファーストレディという好意的な評価の一方で、脳天気、KYなどと呼ばわれもしていたアッキー夫人を、彼は夫として、国会での追求からもマスメディアからの攻撃に対しても、ことあるごとにかばい、守り続けた。そのことは政治家の結果責任としての事の良し悪しはともかくとして、夫婦関係の鑑といっていいのではないか。

 もちろん、この夫婦の社会的地位を考慮しなかったらの話ではある。2人は日本の総理大臣夫妻である。森友学園事件などの追及を受けた際の彼の国会での妻をかばうための答弁の決め台詞によって、ついには自殺者まで出してしまったことを弁護することは到底できることではない。

 安倍晋三自身が祖父岸信介に溺愛されていたことは、あの東条英機が孫を可愛がっていたこととともに有名である。家族愛や夫婦愛そのものは、当事者たちの社会的な地位と切り離してみれば、微笑ましいあるいは羨ましい姿であることに変りはあるまい。

 どんな極悪非道の人間でも、ふと道端で出会ったクモの命を救うこともあるだろうし、どんなに高邁純真な人間でも、自覚の有無にかかわらず時として人を裏切ることもある。そんな思いから安倍晋三を見た時。彼の褒められるべき功罪の功として、以上の三つを挙げることにした。

 さて、毀と貶、つまり罪について評価することは枚挙にいとまがない。その中でも、彼の罪いや大罪としてわたしが筆頭にあげるのは、行政府にモラルハザードをもたらしたことである。

 戦後レジュームの中での日本の復興と高度経済成長を支えた原動力の一つに、行政機構をつかさどる官僚たちの正直さ、国に対する誠実さがあった。「あった」と過去形で言わざるを得ない状況を作り出したのが、ほかならぬ安倍晋三なのだ。国会論戦での彼の答弁に対する否定的な立場から「ご飯論法」「きな粉餅論法」「ストローマン論法」という言葉がネット上で流行し、特に「ご飯論法」という熟語は2018年、国会で当時の加藤厚生労働大臣のわざと論点をずらす誠意のない答弁を、法政大学の上西充子教授がツイッターで「朝ごはん」の例を用いて批判したことをブロガーの紙屋高雪さんが「ご飯論法」と命名し、その年の「新語・流行語大賞」に選出されている。安倍首相ではなく加藤厚労大臣(いずれも当時)の答弁が直接の命名のきっかけではあったが、実は安倍晋三自身がこの論法を最も常套的に使っていたために「ご飯論法」との批判はむしろ安倍に集中した。

 国会答弁だけではない。公文書の改竄、統計データの書き換えなどが次々に露呈したのが、安倍が政権に復帰した第2次政権からである。今や政府の統計や公式見解は嘘の代名詞になってしまった。太平洋戦争でのミッドウエー海戦の戦果を発表した「大本営発表」と同じであると考えられるようになったのも、安倍政権の残した負の遺産である。

 その安倍政権によって露骨になった政治家の「ご飯論法」が、行政府のモラルハザードを引き起こし、官僚たちの無責任体質と無気力感を生み、さらに民間企業の経営トップたちのモラルハザードへと波及してしまったことが、安倍晋三の犯した最大の罪であると言わざるをえない。

 安倍晋三の無責任体質の及ぼしたもう一つの影響が、東アジアを中心とした国際関係を悪化させていると言わざるを得ないことである。第1次安倍内閣の発足当時、彼自身が「戦後レジューム」からの脱却を掲げていながら、世界経済が20世紀型システムから21世紀型へとパラダイム・チェンジする新しい経済循環のシステムを模索し始めていたにもかかわらず、日本はそれに乗り遅れてしまった。それは日本の政治の中枢に居座り続けていた自由民主党が戦後レジュームから脱却できていなかったことの当然の帰結だったのだ。

 その結果、日本は中国だけでなく日本よりはるかに人口の少ない韓国にも経済面で後れを取ることになってしまった。そのことに対する国民のいら立ちや政府への不満をかわすため、安倍晋三は戦争責任を曖昧にする歴史修正主義をとった。それまでの河野洋平談話(1993年)、村山談話(1995年)を否定し、慰安婦問題も植民地支配の弊害も政府の統計処理のように、消しゴムで消し去ろうとし、戦争責任すらも否定し、なかったことにしようと世論をあおった。その一環として、朝日新聞記者への執拗な言論弾圧も行った。

 近隣の国々が最も憎むのは、日本の過去のふるまいそのものよりも、彼が過去の日本のふるまい、わたしたちの先祖の犯した過ちをなかったことにしてしまおうとすることにある。

 わたしたちは自分たちの国の歴史をなかったことにしてはならないことは理解している。しかし、明治期から敗戦までの歴史については未だにわだかまりがあって、違う考えのような気がする。本来、どんなに恥ずかしく愚かな行為であっても、やってしまったことをなかったことにはしてはいけないし、できることではない。できることではないからと言って、わたしたち自身の近代史を正確に検証しようというのではなく、初めからなかったものにしてしまおうというのが,安倍晋三の本音である。そして、彼のその本音を忖度する勢力によって言論弾圧が引き起こされてきた。

 「民主主義への挑戦」「民主主義を破壊しようとする理不尽な行為」などというが、民主主義は常にポピュリズムに陥りやすいし、あまつさえそれが極右的勢力と結びつくことによって全体主義国家になるということは、ヒトラーの登場と権力掌握から破滅までの道筋が物が立っている。

 安倍晋三は行政府と官僚のモラルハザード、近隣諸国からの非難と日本人への信用失墜を引き起こした。その上さらに最も深刻で、決定的な罪を犯している。それは国民が政治を見放してしまったことである。近年の国政選挙での投票率を見ると、小泉内閣の郵政解散総選挙と民主党(当時)が政権をとることになったマニフェスト選挙の時以来、下降のしっぱなしである。しかもそれが地方自治体選挙にも波及している。

 「サイレントベイビー」という言葉がある。小児科医学的にはあいまいな部分もあるが、要は泣くことによってなんらかの不満や期待を訴えても、それに答えてもらえなかった赤ちゃんが、ついには泣かなくなってしまうということである。昭和時代には常に70%以上あった国政選挙の投票率が、平成時代に入ると下降し始め、最近では50%前後、選挙によってはそれを切るところまで低くなってしまった。投票行動という意思表示し続けていたにもかかわらず、いつまでたっても応えてくれないどころか、安倍政権に至っては嘘と分かることを平然を言ってのけ、自分たちに都合の悪いことには見向きもしないという政治が続いていたのだ。国民が政治を見限り、なにも期待しなくなってしまった、謂わば政治不信が国民をして総「サイレントベイビー」にしてしまった。

 で、果たしてそれでいいのだろうか。もちろん良いはずがない。そのことは誰もが分かっているのではないだろうか。では、わたしたちは何をしなくてはならないか。そのことは、もう少し安倍政治を見つめなおしてから、考えてみたい。(続く)

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歴史に特筆されることになった第26回参議院選挙

(3)これからの日本

 (承前)わたしは安倍晋三を襲った犯人の人物像や、現在取りざたされている宗教団体のことについて、特に深く触れようとは思わない。天人共に許すことのできない理不尽な暴挙によって、良くも悪くも一人の政治家が突然命を奪われるということなどあっていいはずがない。かといって、この忌まわしい事件が政治と宗教の癒着を許してきたことの当然の結末であったということにして、一件落着などということにもしたくはない。それでも、そんなことに目を眩まされて、政治家への評価や、政策への結果責任についてきちんと考察することを忘れてはならないと考えているからだ。

 逮捕された山上徹也は鑑定留置することが決まった。少なくとも犯行前に彼が書いた文章を見る限り、精神に異常をきたしている者には見えないのだが、なぜ鑑定留置するのか、検察か裁判官は国民に説明するべきであろう。しかし、ここでもおそらくは「個人情報」「人権保護」「公判前の捜査情報」等を理由に、わたしたち国民には何も見えてこない。そのうち、コロナとウクライナのニュースの波にさらされて、わたしたちの興味も薄れ、メディアの追っかけもやむと考えているのではないかと勘繰りたくなる。

 テレビなどではいつものように犯人の人物像や、宗教団体の異様な教義と集金方法をセンセーショナルに言い立てているが、それでかえって、ではジャーナリズムには何の責任もないのかということを考えてしまう。マスメディアが常に留意するべきは、第三者、それも善意の第三者的な言説をとりながら、実はこの国をあらぬ方向に誘導しようという目には見えない(見えてはいるがそうと認識できない)動きに加担してはいないかという自覚と自問であろう。

 明治3年(1870年)に日本最初の日本語の日刊新聞横浜毎日新聞が創刊されている。その2年後の明治5年には現在の毎日新聞の前身東京日日新聞が創刊されてた。ちなみに朝日新聞の創刊は明治12年だそうである。そのころの新聞は今で言えば社説とコラムで紙面を占めるオピニオン紙であった。その後も明治7年に始まり全国に波及し活発化した自由民権運動と共に、政府系、反政府系の違いはあっても政治的な意見や論文をインテリ層に向けて情報発信する媒体として、多くの新聞が創刊されている。

明治7年には江戸期のかわら版に相当する讀賣新聞が創刊されている。こちらはいわば今日のタプロイド版に近い小さな紙面だったという。そのため小新聞などを呼ばれていたが、紙面は時事ネタと庶民受けする風刺ネタが中心で、発行部数では数ある大新聞を凌駕していたそうだ。

 いずれにしても論説中心の構成だった新聞は、当然ながら創立当時は家内工業的な規模を脱していなかった。次第に企業としての体裁と規模を有するようになり、それと共に記事も論説から事実報道に代わっていく。事実報道と言っても、それが事実であるということのエビデンスに基づく考証が前提になるがそれが当時どのように行われたのか今となっては想像するしかない。また、新聞報道の内容が意図したものせよ、そうでないにせよ、それによって世論がどう誘導されるかということは別問題である。日露戦争後の講和への批判や太平洋戦争時の世論醸成に果たした新聞の役割を考えれば、現代もまたこれからどうなって行くのか背筋の凍るような危惧を感じるのはわたし一人ではあるまい。

 良くも悪くもオピニオンリーダーとしての機能を有しているマスメディアだからこそ、安倍晋三やその権力構造の構成員たち、シンパたちは執拗にメディアへの言論封殺を試みてきた。そして、その彼らの目的は既に一定程度以上に達せられているかもしれないのだ。

 とはいえ、安倍晋三は亡くなった。犯人の動機が何であったとしても、そのこと自体は既に防ごうにも防げない既に起ってしまったことになったのである。襲撃を防げ得なかった警備体制は十分に検証されるべきであるし、そもそもこのような突発的なテロ行為を発生させてきた日本社会のひずみや隙間についても考察しなくてはなるまい。しかし、これからの日本、近未来の日本考える時、安倍晋三の死がこの国に何をもたらすのか、あるいはもたらさないのかということを、激動ともいえる国際情勢の中にあって、まず考えなくてはならないのではないか。

これからの日本をどうするのかと言えば、まずは安全保障ということになるだろう。安全保障というとすぐに軍備だ憲法改正だと声を高める勢力がいる。しかし、国の安全は軍拡競争によってのみ保障されるものではない。食糧安全保障。経済安全保障、技術や情報の安全保障等々多岐にわたる事象すべてを綜合的に考えなくてはならないのが安全保障である。

 「平和ボケだ」「近隣諸国からの軍事的脅威が増大している」と言い募って「軍事費を拡大させなくてはならない」「憲法を改正して自衛隊を軍隊にしなくてはならない」と声高に何度も言われると、なんとなくそんな気がしてくるかもしれない。「安倍晋三は国を守るために戦って死んだ」と大音響で言われると、初めのうちこそ抵抗を感じても、だんだんと同調圧力に屈するのが、わたしたちの持って生まれた性でもある。だからこそ、今は刮目して、それでも足らなければ冷水で顔を洗ってでも、冷静かつ慎重に世界を見回す必要があると言いたい。

 そもそも、たとえ隣国が責めてくるかもしれないと不安なったからと言って、ではどんな武器を持てばいいのか、どんな兵器をそろえれば、兵員はどのくらい増やせばいいというのか。亡くなった安倍首相は核による再軍備さえ口にすることがあったが、核には核という考えが如何に短絡した、それこそ平和ボケした衝動なのかということは、ウクライナへのロシアへの侵略戦争によって証明されている。ウクライナは核兵器を持っていなかったから侵略されたのか。ロシアは核兵器を持っているから好き勝手なことが出来るのか。それは違うだろう。核兵器はたとえそれが戦術核であったとしても一挙に世界全体の終末を誘発する。謂わば人類全体を巻き込んでの自爆装置に他ならないのではないか。

仮想敵を作って、その敵を凌駕するだけの戦力を保持しようとすれば、その敵は危機感からこちらを凌駕する軍事力を持とうとするだろう。それは永遠のスパイラルになるだけである。安全保障とは戦力や軍事力の優位性にあるのではなく、他国に侮られない国際政治力、交渉力、そして経済力や情報収集力であり、敵を作らない、信頼される国になることである。それを実現できるのは、結局のところ政治であり、政治家である。並大抵の政治家では到底なしえることではない。いくら声高に国防だ安全保守だと叫んでも、もり・かけ・サクラのちり芥で自らの足元を汚していたのでは、安全保障どころか国内外の信頼を勝ち取ることなど望むべくもないのだ。

一方で、これだけは明白なことだが、民主主義の国において政治家を選び、育てるのは選挙を通しての、我々国民の自覚である。今回の参議院選挙は大方の予想通りの結果であった。その意味では元首相の不慮の死も何ら影響を与えなかったのではあるが、少なくとも彼の望んでいた方向へ、この国が舵を切り始めているのではないという危惧の残る選挙であったことは間違いない。未来の歴史学者たちから、この選挙と元首相襲撃事件をどの様に評価され、歴史の一頁を飾ることになるのか、わたしたちには確かめる術はないのだが、これからこの国が辿る道の如何によって決まることになるだろう。(この項、終わり)

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歴史に特筆されることになった第26回参議院選挙

(2)国葬について

(承前)安倍晋三元首相が凶弾に倒れて2週間後、岸田首相は国葬を挙行することを閣議決定した。何より岸田政権にとって権力の維持のために必要なのである。あるからこそ、自党内の一部が声高に国葬、国葬と言い始める前に、自らの意志であることを示すために閣議にかけ決定したのだろう。

 しかし、安倍晋三元首相を国葬に付すことの問題は大きいと言わざるを得ない。その問題とは①法的根拠の有無についての説明②国葬決定までのプロセスの不透明さ③国葬に見合う衆目の一致する功績があったかどうか④初めから国民全員の賛意は求めないという発言⑤天皇陛下の扱い等々である。

法的根拠の有無については、わたしは法律家でも法学者でもないが、それでも大いに疑問を持たざるを得ない。日本の国葬についてのルールは国葬令(勅令)として大正15年(1926年)10月21日に制定され、敗戦後の1947年12月31日、日本国憲法施行の際に失効している。戦後1967年の吉田茂の国葬の際、当時の水田三喜男大蔵大臣が国葬に予備費を支出したことに対し、翌1968年5月の衆院決算委員会で、「国葬儀につきましては、御承知のように法令の根拠はございません。(略)私はやはり何らかの基準というものをつくっておく必要があると考えています。(略)将来としてはそういうことが望ましいと考えています」と答弁している。つまり この時、水田大臣は「国葬儀については法令の根拠はない」「作ることが望ましい」と明確に答えている。しかしながら、その後60年以上も経過した今日に足るまで、国葬の法的根拠と挙行のための基準を作ったという話も、作ろうという論議もなかった。

1967年当時の国葬の決定者である佐藤栄作元首相の死去の際、国葬にすべきではという意見が起こったそうだ。しかし、この時は内閣法制局が「法的根拠がない」として待ったをかけている。今回、安倍元首相の国葬について、内閣法制局は岸田首相の決定に異論をはさんでいないことと対照的だ。

1967年当時の国会は自由民主党の安定過半数(486議席中277議席・1967年1月総選挙)に支えられて、佐藤栄作が長期政権を維持していた時だ。佐藤栄作が亡くなった1975年当時も1972年に行われた総選挙の結果、衆議院の議席数491議席に対して自民党は271議席を有していたものの、田中角栄首相のロッキード問題などで支持率が低迷し始めた時だ。現に三木首相に代わった第34回総選挙では総議席数511に対して249議席と過半数を割っている。2022年の現在、国会の勢力図は圧倒的に与党優位にある。

本来、内閣法制局は法の番人であり、その矜持を持っているべきである。誰のための番人かと言えば、それは国民のためであることは論を待たない。しかしながら、与野党の勢力が与党優位である場合と拮抗している場合とで、その肝心の番人が居眠りしていたり、はっきりと意見を言ったりするというのでは話にならない。もっとも、国会議員は誰が選んでいるかと言えば、我々国民なのだから、その当然の帰趨だと嘯かれれば何をか言いわんやということではあるが。

大体が国葬について考えようにも、法的根拠がない以上できようもない。戦前の明治憲法下における国葬令に基づいて論議することも時代錯誤も甚だしいということになろう。ただ、これだけは言えるのは、閣議決定しただけで果たして国の事業都言えるのかということである。内閣には執行権があるが、国家予算を伴う事務事業の全てが国会の承認がいるはずだろう。今の政権与党の数からすれば、国会審議をしてどんなごり押しも通るはずなのに、それすらせずに「国葬」ということにしてしまった。それが何を意味するのか、考えれば考えるほど空恐ろしい。

 国葬決定までのプロセスの不透明さについては、もともと法的根拠がないのであるから、あとは時の為政者の決断と後押しする勢力の圧力次第ということだろう。戦後の国葬の前例となる吉田茂の場合、10月20日に死去して、国葬は同じ月の31日に行われている。やるやらないの最終決断は佐藤栄作の日記によると22日だったようなので、事務事業としてのプロセスはなかったも同然だった。佐藤栄作は側近の幾人かに意向を確認していると書き留めているが、その通りだったとしても佐藤栄作が独断で決めたことに相違はあるまい。ただ、病死した吉田の場合、あらかじめ容態の進行について認識を共有する中で、国葬という儀式が浮上したことも否めないだろう。

 今回も色々取りざたされてはいるが、いろいろあったとしても岸田首相自身が決断したことに変わりはあるまい。閣議決定までに2週間を要しているが、それが長いか短いかはともかく、岸田首相の党内での位置関係と力の度合いを物語っているのかもしれないし、自民党内部が一枚岩ではないことを検証する際のエビデンスにもなるだろう。また、吉田茂の国葬の時は外国から特使の派遣はあったが、元首クラスの誰彼が来たという記事が見当たらない。少なくとも吉田茂の国葬を決定した佐藤栄作には、元首相の死を利用して弔問外交の成果を期待するというさもしい動機はなかったことになる。

 そもそも、葬儀を大々的にやろうというのは、送られる側ではなく、やる側、特に権力の継承者側の勢力誇示のためである。古くは織田信長の葬儀を取り仕切った羽柴秀吉の例もそうだし、近くは吉田茂の国葬を取り仕切った佐藤栄作もそうだった。岸田首相の場合、外国の元首クラスの要人との会見までもセットしなくては、その権力誇示すらおぼつかないというのだろうか。

 さらに言うなら、仮に安倍晋三という人物が今でなく、もっと先に彼の持病が悪化して亡くなっていたとしたら、彼は果たして国葬に付されていたであろうか。彼の遭難死が将来特筆される令和史のトピックであることは間違いはないだろう。しかしそれは政治家としての彼自身に対する評価、彼の政治実績に対する評価、そして彼を国葬に付すると決断した岸田首相の判断への評価の結果ではなく、ただ単に選挙遊説中に凶弾に倒れたというエキセントリックな事件として、歴史に残るだけではないだろうか。

 国葬に見合うだけの政治的実績をどう評価したのということについては、これから9月27日の当日に向けて、賛否双方の陣営から、あと付で出てくるだろうが、今のところ「8年8カ月の長期政権を担ったこと」「国内外から幅広い弔意が寄せられていること」という、いかにもとってつけたような理由付けだけが語られている。国際的な評価が高いというならノーベル平和賞を受賞した佐藤栄作でさえ国葬にはなっていない。「東日本大震災からの復興」の功績も挙げられているが、こちらに至っては功罪、毀誉褒貶相半ばするどころか、批判されるべきことの方が多いのではないか。

 「初めから国民全員の賛意は求めない」という発言を聞いた時、わたしは耳を疑った。一見、「そりゃぁそうだろう」と頷きたくなるような言葉だが、事は国葬である。民主主義によって成り立っている国であれば、国民の総意によって葬送される人物のみが国葬に値するのではないか。もちろん、価値観の多様化している現代社会において、全員が賛意を示すというのも空恐ろしい話ではあるが、少なくとも時の権力者が口にしていい言葉ではない。「説明を尽くして理解を求めていく」と付け加えても許されることではない。つまり「国民が何と言おうと、わたしがやると言ったらやるんだ」と言っていることに代わらないのだ。

⑤ その国民の総意の一つの証左として、天皇陛下のご臨席がある。平和憲法によって天皇は国民統合の象徴ということになっている。天皇がご臨席されるかどうかは、つまり国民の総意がそこにあるかどうかということである。天皇がご臨席になるためには、国事行為としてそれなりのプロセスを踏んだものにならなくてはならないが、今回はどうなるのか。法的根拠が何もなく、時の内閣の閣議決定だけで、国会を開くこともなく予備費を使って行われる場所に、我々国民統合の象徴である天皇陛下はご臨席できようもあるまい。

 現に吉田茂の国葬の場合も、昭和天皇はお使いを派遣しただけでご臨席になっていない。当時の皇太子夫妻(現上皇陛下夫妻)はご出席になっているが、憲法上、天皇と天皇のお使い、皇太子では全く意味が違う。昭和天皇は太平洋戦争への深い悔悟のお気持ちから、憲法と法を守ることを非常に厳密に優先されていた。そのこともあって、昭和天皇は吉田茂の葬儀にご臨席ならなかったし、ついでに言うならばA級戦犯が合祀されて以降、それまで欠かさなかった靖国神社参拝に、ついにお亡くなりになるまで一度も行幸されなかった。(続く)

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歴史に特筆されることになった第26回参議院選挙

(1)事件は民主主義に対する挑戦だったのか。

 あまりにも強烈な事件であり、この手の事件は常にそうだが表に見える直接的な動機だけでないものや、場合によっては指嗾者の存在を疑わなくてはならないし、テロの実行者の動機や目的とはまったく無関係に、社会的な影響や結末があるかも知れない。発生して未だ時がたたない段階で何か言うのは、いろいろな意味で危なっかしい。しかし、逆に一凡人の直感的な思いを書き残しておくことも意味があることかもしれないと思い直して、パソコンに向かっている。

 事件発生までのこの国の社会的なひずみや病巣、事件発生直後のわたしたちの反応と政治的な動き、日本の近未来についての影響、謂わば安倍事件の「昨日・今日・明日」について、発生から2週間という今の段階のわたしの視点をまとめてみたい。

与党側の戦術が功を奏したのと、野党側のだらしなさのお陰で、さしたる争点もなく低調な選挙戦になるはずが、終盤にきて突然、政治史というよりは社会史として日本の歴史に残る選挙となった。選挙結果は大方の予想通りとは云え この国の近未来に暗雲の立ちのぼるのを見て懼れるのはわたしひとりだろうか。

 今日の日本を象徴するような政治家が突然の暴力によってその生命を奪われた。そのこと自体は理不尽で絶対に許されざる行為の結果ではあるが、ではこの事件が政治的な出来事だろうかと言えば、そうとは捉えにくいというのが衆目の一致するところであろう。むしろ、近年次々に起こった事件、大阪池田の小学校襲撃事件、東京秋葉原での無差別殺人をはじめ、神奈川の施設での障がい者大量殺人、京都でのアニメ会社放火事件、大阪の心療内科クリニック放火事件と続いた連鎖の果ての事件だとわたしは捉えている。これらの事件は全て単独犯の厭世的な衝動によるものだった。その背景に共通して存在する現代日本社会のひずみや病巣が伺い知れる事件だとわたしは感じている。

 事件翌日の新聞各社は口をそろえて「民主主義の破壊を許さない」と書き立てたが、少なくとも凶行に及んだ犯人は「民主主義を破壊する意図などない」と言う意味の言葉を書き残している。「安倍元首相に対する直接的な恨みすらない。宗教団体に関する恨みを晴らす相手として選んだだけだ」とさえ言っている。

 メディアは一体、誰から、あるいは何から民主主義を守るというのだろうか。この素朴な疑問には、今のところまだどこの新聞社からも答えはもたらされていない。良くも悪くも日本の政治権力の中枢にいる人物が、選挙活動として行っていた街頭演説中に襲撃され遭難死したのであるから、言論の封殺だと言い立てるのは分からないでもないが、犯人は安倍氏の言説や政策に怒りを感じて、それを封殺するために凶行に及んだわけではない。付け狙ってもっとも襲撃しやすい機会を得たために実行したに過ぎない。

 それでもわたしは今回の事件は民主主義の危機であると捉えるべきだと考えている。参議院選挙の結果は大方の事前予測通り、政権与党の圧勝に終わった。少なくとも安倍元首相のもっとも願った結果であろう。しかし、この選挙結果を彼のその先の野望である日本の軍事大国化と軍国主義の道に進み始める一歩にしてはならない。わたしがそう思うのは何より、テロリズムという手段は常に、その動機や直接的に目標にしたものとは全く次元の違う結果を生み出してきたからである。大正末期から昭和初年にかけて、ここ国に吹き荒れたテロリズムの先に何があったかを考えてしまうのである。血盟団事件から2.26事件までの一連のテロリズムを、それぞれの指嗾者の思惑と実行犯の動機や信念そのものと、当時、あのテロリズムの連鎖を生み出してしまった時代背景を見比べると、今日の日本や世界の社会情勢に共通するものがあるのではないかと、わたしはうすら寒いものを感じるのだ。

 森友・加計・さくら事件は誰にまつわるスキャンダルだったのか。特に森友学園への国有地払い下げに関しては財務省理財局による決裁文書改ざん問題が浮上した挙句、職員が自死しているという事実に対しても、自公の国会での圧倒的な議席数にあぐらをかいた安倍政権が真相を解明することはついになかった。

さらに言えば安倍晋三政権がメディアに対して言論封殺を図ってきたことは周知の事実である。1991年8月に「元慰安婦の証言」という記事を報じた朝日新聞大阪社会部の記者に対して、記事が捏造であるという執拗なバッシングキャンペーンが始まったのは、安倍晋三が政権に復帰した後の2014年からであるが、森友問題が浮上したのは2016年、加計学園問題は2017年、「桜を見る会」への政治資金規正法違反の疑いに関して、安倍晋三後援会の政治資金収支報告書を訂正したのが2020年で、その度にバッシングのボルテージは上がっている。

実は初めて元慰安婦の証言記事が掲載された1991年当時、元慰安婦の女性のインタビューを記事にしたのは、朝日新聞だけでもバッシングの対象となった植村隆記者だけでもなかった。それなのに記事掲載から10年以上もたってから、朝日新聞1社、記者一人だけをターゲットにしたのは何故なのか。中には少なくとも2016年までは朝日の記事を事実として、雑誌などで主張してきた櫻井よしこのように、2016年にバッシングが始まると同時に、180度論旨を転換させて、植村隆記者の記事や彼が取材した元慰安婦たちの証言を捏造と主張するようになった者もいる。

ひとつにはメディア全体への言論封殺のための恫喝であったことは明白であり、そのためのスケープゴート選びに適ったのが、たまたま植村隆氏だったということである。時の権力者が言論封殺しようとするのは、常に大きく根深い疑惑や知られては不都合な事実から、大衆の目を逸らすためではなかったか。

繰り返しになる。事件が発生した翌日の新聞各社が「民主主義」や「言論」について、異口同音に叫んでいたが、それを云うなら、民主主義の大前提である、情報公開、説明責任について権力者が犯してきた問題を、例え亡くなった直後であっても、いや直後だからこそ改めてきちんとした評価、少なくとも評価するための考察をするべきだと主張するべきではなかったか。亡くなった権力者は民主主義の大前提を冒涜してはいなかったかという、歴史に照らしての考察があるべきである。

 その考察の工程を何ら踏むことなく、岸田首相は秋に安倍晋三元首相の国葬を挙行すると国の内外に公表したのだから。(続く)

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今年も夏の交通安全運動が始まります。

 今年も7月15日(来週の金曜日)から「おおいた夏の事故ゼロ運動」が始まります。野津原中学校の生徒会長竹山弦伸君は6年前、弟を交通事故で亡くしています。その悲しい思い出を元に、交通安全を訴える作文を書いてくれました。どうか一人でも多くの方に読んで頂き、こんな悲しい兄弟、ご両親がこれ以上増えないよう祈りたいものです。

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いでぐち良一後援会「良友会」会報

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大分市議会令和4年第1回定例会 議会報告

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